岩井達也が教員になりたいと思ったきっかけについて

あついあついあつい。。

モーレツに暑いですね(´Д` )

ポケットの中にスマホをいれて、汗だくになって仕事をしていたらスマホの調子が一気に悪くなりまして・・・。iPhoneXに機種変更してきました♪

こんにちは。福井県敦賀市

イワイガラスの5代目 岩井達也です。

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先生からブログの宿題をいただきました(笑)

この間、学生時代にお世話になった先生とお会いしました。こちらから挨拶をしに行くと、

「最近ブログの頻度落ちてない?」

っていう話になりまして(汗)その後に

「仕事のブログが多くて岩井の話が減ったよね。商売にはならないかもしれないけど先生は君の話のブログが好きだ(笑)仕事のブログはシューーーってスクロールしておしまい(笑)」

って。コレめちゃくちゃ嬉しかったです。会社のことを知ってもらうことと同じくらい、イワイという会社で働く僕のことを知ってもらいたくて書き始めたこのブログ。確かに最近余裕がなくなってきてブログもおざなりでした。こりゃーいいご指摘をいただけたなと。

「教員になりたいって書いてたね。あれなんで?今教員になりたいって人が少なすぎて困ってるから、教員になりたいと思ったきっかけをブログにして。福井県の教員減少を救ってくれ(笑)」

ってリクエストまでいただきました(笑)

と、いうことで今日はちょっと僕の高校生の頃の話を書いてみようかなと思います。

というのも先日、青少年育成敦賀市民大会に参加をしました。そこで中学生の男の子が読んでいた『支え』と言う作文を聞いて昔のことを思い出したから。

はい、ここからちょっと自分の高校時代の話。


高校野球をやっていた僕は、高校3年の4月に肋骨を3本疲労骨折しました。自分の中では少しずつ上手くなっているのを実感していて、『コレから!』って思っていた矢先でした。

練習中にボールを打った瞬間、息がしにくくなって背中に激痛が。布団で横になっても激痛が走るので、一睡もできずに朝になりました。気のせいであることを祈りながら病院に行きましたが、レントゲン見た先生からは「・・・3本折れてるね。残念だけどしばらく野球の練習は控えてください。」という言葉が返ってきました。

ああ、終わったなって。高校野球の2年半だけは後悔したくないから、一所懸命やってきたのにこんな終わり方すんのかって。真面目にやってきたのバカみたいだなって。

当然心の整理もつかないまま、どうやって学校行ったか覚えてませんが、なんとか泣かないようにして学校へ。監督さんに骨折したことを伝えている最中に悔しくて涙が止まらなくなって、監督さんはたくさん励ましてくれたけど全く耳には入ってこず。。監督さんがいる部屋を出たときには、

授業出て部活の時間になったらもう野球部辞めるって監督に言おう

って思ってました。春の県大会はもちろん、最後の夏にも間に合わないかもしれないし、どう考えてもまともな練習はできないし。音楽の授業で誰もいなくなった教室で、1人泣いてたんですが、そのとき廊下を世界史を教えてくれていた先生が通りました。

井上先生。通称トモ。生徒からトモ!トモ!って呼ばれる友達みたいな距離感でいる先生でした。いつもヘラヘラ笑いながら冗談ばっかり言う先生。泣いてるのを見られて、(ああ、バカにされんのかな)って思った瞬間、

「おい!何があったんや!!」

って真剣な顔して教科書投げて走ってきて、僕の両肩つかんで、

「どうした!?」

って。このとき肋骨がチョー痛かったのはナイショ(笑)

事情を話すと、

「気持ちはわかるけど、春出れんくても夏があるやろ!!夏に間に合わんかっても仲間のために頑張れることがあるやろ!!それでも、って思うんなら大学行ってまた頑張ることもできるやろ!!!簡単に辞めるって言うな!!」

って廊下にまで響き渡る声で叱ってくれました。

いつもふざけてばっかりの先生にこんなことを言われるとは思わず、びっくりしました。けど不思議と先生の言葉がスッと腹に落ちて、頭の中がスパーン!って切り替わったのは確か。先生のおかげで気持ちがブレたのもこの数時間だけで済みました。

ちなみにこの音楽の次の授業は、この先生の世界史(笑)。先生はいつも通りの授業をして、僕もいつも通りな感じで授業に出ていました。

最後の夏も背番号は二桁でしたが、井上先生のおかげで全身全霊で高校野球を終え、大学野球にも挑戦して誰よりも濃い4年間を過ごせたと思えます。

実はこの時のお礼を言えないまま、高校を卒業してしまいました。この日の後も友達のように接してくれたので、お礼を言うのがなんか照れ臭くてそのままに。大学生の頃、ちゃんとお礼を言おうと思って母校に帰るともう先生は異動してしまっていて、転勤先も教えてもらえずいくつか高校を回りましたが見つからず・・・。

数年前に嫁さんと本屋さんへ行った時、レジに井上先生がいるのを偶然発見。

「井上先生ですよね?」って声かけて、当時のお礼を伝えさせていただきました。先生は僕のこともこの話も覚えていませんでしたが、それでも10年越しにちゃんとお礼が言えました。


ナガーーーーーー!!!思い出の部分ナガーーーーーーー!!!笑

はい、これが僕が学校の先生っていいなって思ったきっかけの1つ。

こうやって人間が大人になっていく過程で、誰か1人の何かのきっかけや気づきを与えられる職業ってすごくないですか?

なんて言うんですかね。なんて言ったらいいかわかりませんが、将来何千、何万通りとある子供達の将来の選択肢を更に増やして豊かにしてあげられると言うか・・・。それはもちろん学校の先生じゃなくてもできますが、たくさんの子供たちに気づかれなくともいろんなヒントを渡していける職業なんじゃないかなって思っています。

僕は確実にこの井上先生に道を正してもらったと思っています。あそこで先生通らなかったらどうなったかわかんない。本当に辞めちゃったかもしれないし、大学で野球やってないかもしれない。本当に感謝している先生の1人です。敦賀市内の学校にいるそうなんで、ガラス修理の時にまた会えないかなって期待してます(笑)

実際のとこ大変なこともたくさんあるんだろうけどね。それでも体が2個あったら確実に先生の道選んでると思う。32歳のおっさんになっても未だに憧れる職業です♪

と、いうことで1人の先生と中学生の作文に出会ったことで書き始めたこの長いブログを終わろうと思います(笑)

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