5代目の自己紹介④

こんにちは。

福井県敦賀市 イワイガラスの5代目  岩井達也です。

感動の超大作となってまいりました自己紹介ブログの続編です(テヘ)

5代目の自己紹介①

5代目の自己紹介②

5代目の自己紹介③

名城大学硬式野球部時代 後編。

まさか大学時代で前後に分かれるとは僕も思いませんでした!

でも思い返すと今までの僕の人生で一番濃い時間でしたからね~。

ちょっとまじめな内容で長くなりますがお付き合いください。

大学3年生の秋 ある決断をする

大学3年のころです。先輩、同期、後輩と。
覚えてませんがボーリング行ったんでしょうね~(笑)

なんとか練習にはついていけるようになりましたが、先輩や同級生のレベルが高く、また大学ともなると後輩にプロ注目の子なんかが入ってくるんですね。

後輩に追い越される・・・というか入った時点で追い越されている  という経験はかなり辛かったです。

それでも野球は嫌いにならず、厳しい中にも楽しさややりがいを感じて毎日を過ごしていました。

一所懸命がんばってはいましたが、全国大会をかけたリーグ戦の25名のベンチ入りメンバーに入れずに1年、2年と時間が経っていきます。

ここで余談ですが、(これだけ長くてまだ余談があるっていうね 笑 )

僕のいた名城大学は愛知大学野球連盟という1部から5部まである大きな連盟に所属していました。

愛知大学野球連盟さんのHPより

僕らがいた頃の連盟は上位、下位共に2チームが入替え戦に選ばれるという結構特殊な形でした。 (現在は1校のみの入れ替え戦になったようです)

入替え戦って上部リーグと下部リーグの入れ替えをかけた試合で、ものすごく独特な雰囲気で試合をするんです。

1部で優勝しないと全国大会には出られません。

下のリーグに落ちてしまうと、まず1シーズンを2部で戦い、入れ替え戦で勝ちあがって1部に上がれたら翌シーズンやっと全国大会をかけてリーグ戦に出られます。

名城大学は1部にいましたが、なんどか2部の上位チームとの入れ替え戦を経験しています。

こういう連盟はチーム作りが非常に難しい。

春のリーグ戦を戦いながら、翌年の春どのメンバーで戦うかを想定しながら監督は采配をとります。

当然、練習のときから将来中軸を担う選手を試合に出すような人選をします。

上級生が温情でベンチにいたり、思い出作りに試合に出ていると翌年以降の弊害になるなと思っていました。

このことに僕は1年目の秋にたまたま練習が休みの日に行われていた、他校の入れ替え戦を見に行って気づきました。

この時僕の中に

『3年生でレギュラーじゃなかったら4年目は後輩に譲るべき。3年目でメンバーとしての戦力になれていなかったら、僕に4年目の選手としてのチャンスは無いと思おう』

というルールができました。

残念ながら3年生の秋のリーグ戦までに25人のベンチ入りの枠には僕の居場所はありませんでした。

1個上の先輩方が引退して新チームになった頃。僕は、監督とコーチに

学生コーチをやらせてほしい

と願い出ました。

学生コーチ

名城の学生コーチは背番号32をつけます

この学生コーチっていうのが大学野球の特殊な役割で、文字通り学生だけどコーチなんです。

練習もノックを打ったり準備したり裏方の作業をします。 僕はこの時、監督さんから全体練習のメニュー作りと、新人監督(大学では1、2年生を新人として、1、2年生のみで新人戦があります。その監督の役割)を任せていただきました。

監督・コーチと選手とのパイプ役のような役割。

ただ、学生コーチは練習試合や公式戦に選手として出場することはありません。

学生コーチって大概は大きな怪我をしてレギュラーを取るのが難しい選手や、
レベルに付いていけない選手に監督から声を掛けます。

頼まれたからと言って簡単に受け入れられるものじゃありません。

だって自分の選手としての目標や夢を全部あきらめるんですから。

これを願い出るってけっこう覚悟がいるんですね。

選手としてやりたい思いと、チーム作りのことを考えるとわがままを言えない、他に適任者がいない、という思いとで葛藤する日々を過ごしました。 気心しれた一部の同級生にだけ何度も相談してましたね。

僕はずっと公式戦に出ている所を、野球を続けさせてくれた両親に見せたいと思っていました。

親に電話で学生コーチをやるって言う時、申し訳なくて泣きそうでしたが一生懸命泣くのを我慢したのを覚えてます。

選手時代よりも過酷だった学生コーチ

この1年間で一気に老けた気がしますw

学生コーチとなってからは4年生だろうが1年生だろうが関係なく自主練習の手伝いを引き受けました。

朝、全体練習が始まる前に自主練する選手のサポート。

全体練習ではシートノック、サブグラウンドでまたノック、フリーバッティング中もまたノック。

全体練習が終わると自主練習をする選手へのノック、上級生が終わると下級生へノック、ノック、ノック(笑)

僕が下級生だった時は自主練習でノックを打ってくれる人がいなくて、思うような練習ができませんでした。

ですので特に守備練習をやりたい!という選手のサポートは一所懸命しました。

熱心な下級生は「水曜日は授業で守備練習に入れないんで21時からグラウンドで個別にノック打っていただけませんか!?」という申し出をしてくる子もいて、かなり長い時間、練習場にいるようになりました。

こういう体力的な部分は問題なかったんですが、辛かったのが精神的な部分。

詳しくは書きませんが、同級生とも立場が変わるので言いたくないことも言わなきゃいけない。

そのまま選手だったら嫌な事も言わずにずっと仲良くいれたんだろうな~と思う仲間にもキツイことを言ったり。。

こんなやつのために選手やめてコーチになったんか!とがっかりするようなこともありました。

この学生コーチ決断や、学生コーチになった後もたくさん相談してアドバイスをもらったのが野球用品メーカー スポーツ玉澤の営業マンさん。

つい最近の写真です。
今でもタマザワ用品の愛用者です

主に東京六大学の野球部(早稲田、慶応など)の選手のサポートをされていらっしゃる営業マンさんで、早稲田出身の高校の先生からの紹介でご縁をいただきました。東京六大学でいろんなチーム、いろんな学生コーチを見てこられていたので本当にいろんなアドバイスをいただきました。

地方の大学の、しかも実力も何もない選手の相談に電話、メールでのっていただき、時には夜中でも電話をいただきました。

高校生の頃に早稲田の竹内さんという学生コーチとお会いして、それ以来学生コーチという役割に興味を持っていたことを伝えると、翌日その竹内さんから僕の携帯に電話が!その営業マンさんが話をしてくれたそうで、竹内さんからたくさんアドバイスを頂いた、なんてこともありました。

社会人になってよく思うのが、この学生コーチでの1年間が無かったらどんな人生になっていたかなって。いい意味でね。辛い思いもいっぱいした1年間でしたが、それ以上に得る物がたくさんあった。普通の大学野球人では経験しないことをたくさんさせていただきました。辛くて悔しくて何度も泣いたけど、今となっては宝物のような1年間。

その学生コーチになる事に最後の一押しをしてくれたのがこの玉澤の営業マンさん。感謝してもしきれません。ありがとうございました!!

だから僕はその営業マンさんがいる限り道具は玉澤。

ほんとにこの1年間を超えるほど充実している1年もなかなかないんじゃないかなと思います。

社会人になって大変だなって思うこともありますが、この1年があるから少々つらくても体がしんどくても大丈夫だなって思えます。30すぎた今でも夢に見ます。手首や肘が痛いのに延々とノックを打つシーンや、同級生と喧嘩しながら方針決めてる所(笑)

学生コーチとしてランナーコーチをしている写真です

大学野球も引退して

大学生の最後の大会も悔し涙を流す結果となりましたが、先に書いたように僕にとってはこの4年間は非常に大きな財産となりました。

正月休みなんかに地元の友人に会うと、大学へ遊びに行っているような人が多かった中、ひとり禅寺へ修行に行っているような非常にさみしい感覚もありましたが(笑)今となれば人に負けない4年間を過ごせたと思えます。

同期全員です
4年生だけ数日与えられたオフも新人戦前だったので休み無しでした。。
後輩たちとの送別試合のときに
僕の同期全員と監督・コーチとの写真です
納会のときに僕の両親と、仲の良かった仲間とご両親との写真です。

本当に多くの方のおかげで大学野球を最後まで続けることができました。

特に野球を教えてくれた父、自分の体調が悪くても調子が悪くても野球をしている間ずっと僕の体調のことを最優先で考えてくれていた母には感謝しかありません。

あ、ちゃんと大学は卒業しましたからね?笑

4年目はほとんど学校行かなくていいような単位のとり方してましたからね。

さあ、長く長く書いてきた大学生編もおしまいです(笑)

名城大学は卒業しましたが、僕の学生生活はまだ続きます。

京都にある建築の専門学校へ通うことになります。

大学まで野球して親のスネをかじり倒したのにまだかじり足らんか!っていうお言葉が飛んできそうですね。

理不尽だらけで汗と泥にまみれたおっさんばかりと野球ばっかりして、学生らしい華やかな生活をしたこと無かった僕が野球をしない普通の学生に戻ります。

お読みいただいてありがとうございました。

次回に続きます~!

5代目の自己紹介⑤

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