5代目の自己紹介①

こんにちは。

福井県敦賀市 イワイガラスの5代目  岩井達也です。

どうも。5代目です。

5代目のプロフィールってことで、ここから何回かにわけて僕の自己紹介をしたいと思います。

いや、おめーの歴史に興味はねぇよって方は飛ばしてくださいね~。

5代目 誕生

昭和61年2月6日に岩井家の長男(姉2人)として生まれます。

父、姉2人と僕です。

跡継ぎが生まれたと祖父と曽祖父はとても喜んでくれたと聞きました。

この話を特によく聞かせてくれるのが近所の眼科のベテラン看護婦さん(笑)

診察に行くと

「あんたのじいさんはあんた抱っこして毎週見せに来た。じいさん診察も受けんのに(笑)かわいらしいって言わな帰らんのやで。」

と話をしてくれました(笑)

じいちゃんにはしょっちゅう耳元で「おめぇは5代目になるんやぞ。この会社継ぐんやぞ」って洗脳を受けてましたね。

こうして2代目、3代目の寵愛を受け、姉2人にいじめられながら(笑)小学生になります 。

5代目 野球を始める

小学4年生の9月、友達3人と敦賀南少年野球クラブに入ります。

入部するとき、僕らを除くと8名しかいなかったんですね。

3人のうちの1人はレギュラーになれるわけで、翌月に控えた試合に出れるわけです。

ここで僕は監督から・・・1塁のランナーコーチを仰せつかります。控え選手決定です(笑)

足も遅かったですしどんくさかったですからね。

でも上級生がいるうちから試合に出してもらえるようになり、どんどん野球が好きになっていきました。

地区の大会で優勝したり県大会に出場したり、入部当時8名しかいなかったチームは卒業するときには20人~30人近くのチームになって野球を通じてたくさんの仲間ができました。

ある日、監督が父に代わりました。

ちなみに達也という名前は野球マンガのタッチの影響もあります。

このタッチの上杉達也はご存知の通り、剛速球を投げる本格派右腕。

そんなキャラクターから名前を付けた父は

僕を2番セカンドの超脇役タイプとして育てます!(笑)

(上の写真もグリップから一握り余らしてバット持ってますしね。笑)

体も小さかったですし、そんなに運動神経が発達した子ではなかったですからね~。

でもこのおかげで僕はずーーっとポジションはセカンド。(たまにサードやショートもしましたが)

レベルが上がっていくほど難しくなるこのセカンドというポジションのおもしろさはハンパないですよ(^^)

小学校最後の試合の前ですね。親子並んで写ってます 笑

中学校ではキャプテンを務めます

中学校にあがって、もちろん野球部に入りました。

仲間や監督さんにも恵まれ、中学校3年生の春の県大会で優勝し、新聞にデカデカと載せてもらいました。

優勝旗を持ってるのが僕です

なんとこのとき僕はキャプテンを務めさせてもらっていました。

個性が強く、自己中なやつばっかりだった同級生をまとめるのはとても大変でしたが、非常にいい経験をさせてもらったと思っています。

勉強のことが一切でてきてませんね(汗)

野球のことばっかだね(笑)

勉強はね、好きじゃなかったです( ゚σω゚)ホジ ほとんどのみなさんそうでしょ?

小学校の時はひどかったと思います。宿題すらまともにしてなかったような・・・(笑)

やってもないのに学校では「やったけどもってくるの忘れました」を何度も使った気がします。

でも中学校にいる間は自分でいうのも変ですが勉強しました。

昔から我が強くてやりたくないことをしないタイプでしたが、自分で納得するとちゃんとするタイプでして。

その辺をよくわかっていた父に上手に手綱を引かれたんですね。

「高校行って野球したいなら中学校で勉強しとけよ。勉強できんと入試の時に野球をやりたい高校に入れんと悲しい思いするぞ。」

と言われて、なるほどなと思ってちゃんと勉強するようになりました。

だいたい学年で10~30番くらいにいたと思います。

野球部のキャプテンをして、勉強もし、自分でもはっきり言っちゃいますが文武両道を果たした中学生時代でした(笑)

さてさて第1話はこのへんで(^^)

読んでいただいてありがとうございました。

5代目の自己紹介②

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